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SpachanのStrada imachan RSS
2004年登録Spacio君にCN-HDS630D 投稿数:146件 / 閲覧数:92063人
作成日:2007/03/05 18:07
更新日:2013/02/22 06:26

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大田實中将の電文を・・・ 2008/02/28 23:11
情報の種類 日々の出来事
地域・エリア 関東
 早朝お約束の表題の件ですが、


電文(1945年6月6日夜の大本営海軍次官宛ての電文−第062016番電−)

左ノ電文ヲ次官ニ御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク
第32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタ
ルニ非(あら)ザレドモ現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急
御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民
ニ関シテハ殆(ほとん)ド顧ルニ暇ナカリキ 然(しか)レドモ本職ノ知レル
範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相
次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支
ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥(不明) 風雨ニ曝サレツツ
乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而(しか)モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看
護婦烹飯(ほうはん)婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノア
リ 所詮(しょせん) 、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運
ビ去ラレテ毒牙(どくが)ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門(ぐ
んえいもん)ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発
シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥(不明)真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳(は)
セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中
ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ
移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物
資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥(不明)ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥(不明)
コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥(不明)一木一草焦土ト化セン
糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ



昭和20年6月6日20時16分発。

沖縄根拠地隊司令官より海軍次官へ。

次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告されるべきですが、県は既に通信す
る力は無く、三二軍(沖縄守備軍)もまた通信する力がないと認められますの
で、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすこと
が出来ないので、代わって緊急にお知らせ致します。

沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県
民に関しては殆ど顧みる余裕もありませんでした。しかし私の知っている範囲
では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかり出され、残った老人、子供、
女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで軍の作戦の
支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下で彷徨い、風雨
にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも若い女性は進んで軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより砲弾運びや
斬り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば老人や子供
は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されるからと、親子が生き別れにな
るのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦に至っては軍の移動に際し、衛生兵が既に出発してしまい、身寄りのな
い重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情に
かられてのこととは思えません。さらに軍において作戦の大きな変更があって、
遠く離れた住民地区を指定されたとき、輸送力のない者は夜中に自給自足で雨
の中を黙々と移動しています。

これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやって来て以来、県民は最初から最後ま
で勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱き
ながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえも
全てが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。沖縄県
民はこのように戦いました。

県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。



この電文には、これまでの決別電の典型であった『天皇陛下万歳』も、『皇国
ノ弥栄(いやさか=いよいよ栄えること)ヲ祈ル』という文言は皆無であった。
勇ましい戦いの報告もなかった。指揮官としての作戦報告もなかった。そこに
はただただ、第2次世界大戦唯一の地上戦となった沖縄戦の惨状(住民を守る
べき軍が住民を楯に戦い、集団自決を強要したことに「捨て石」戦であった沖
縄戦死闘の悲劇があった)と沖縄県民の筆舌しがたい苦難を述べたものだった。
更に、軍はそれらを顧みる余裕がなかったと悔いた後、沖縄県民は斯く(この
ように)戦ったゆえ、後世沖縄を決しておろそかにはせず、平和になった暁に
は、沖縄県民に格別の配慮をして欲しい」との願望で締めくくっている。



コメント (2)

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ま〜さ☆彡 さん

 いつもコメントありがとうございます。
 仰るとおり、戦況下での長文の件もありますが、立派な軍人であり、立派な人間でもあった大田實中将。 推測の領域ですが、立派な軍人は多くいたと思いますが、双方を兼ね備えた方は書物で呼んでいる限り、少ない気がします。
 山本五十六元帥、大田實中将は素晴らしい御人格の持ち主だと言うのが、失礼な表現ですが自論です。(何故か海軍ばかりですが)
2008/03/02 07:27
imachan
imachanさん、おはようございます。
先ずは、電文のご披露というか入力、お疲れさまデシタ。

戦争に関しては、吉村昭氏のあの資料を元に計算して書かれた小説が好きで読むのですが、大田中将は存じ上げませんでした。
ただ、当時、戦局が逼迫した状況で、電文などの暗号は敵対国で傍受や解読は茶飯事であった中、これだけの長文を打電するというだけで、司令本部に伝わりきっていない最前線での惨事を何とか伝えたい、それによって即時対処をお願いしたいという必死の思いは十分に伝わってきます。
2008/03/02 07:06
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