春の訪れとともに今年も街をほのかな淡い色に染め上げる桜の時期がやってきた。「ながむとて 花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ」美しい花たちと散り別れていくのが悲しいと桜の散るのを惜しんだ西行のように、映画『博士の愛した数式』もまた、桜の花びらのように美しく繊細な人の絆とそのはかなさを想わずにはいられない作品だ。 主人公は、事故で記憶が80分しか持たない天才数学者。そんな彼の身の回りを世話するために雇われた家政婦とその息子の交流を、静謐な映像で綴った本作は、<数学>をテーマにした、それはそれは美しい物語である。過去にも数学者を主人公にした映画といえばアカデミー賞を獲得した『ビューティフル・マインド』をはじめ、『容疑者Xの献身』『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』などが挙げられるが、この『博士の愛した数式』ほど数学の世界をロマンティックに描いた映画はないだろう。 素数、完全数、オイラーの公式など、文系には何のことやらサッパリの難解な数学の世界を人の絆や個性といった親しみのあるものに変えていく博士の話は、魔法のようで家政婦の杏子や息子のルートならずとも引き込まれていくだろう。そんな純粋な博士の人柄に魅せられた家政婦と息子のルートは、たとえ80分という限られた時間の中でも心を通い合わせていく。 |
阪神タイガースが大好きだというルートと、伝説の左腕・江夏豊が好きな博士。2人の間にあるのは、野球というもうひとつの“言葉”だ。長野県上田の上田城跡公園にある野球場は、ルートが所属する野球チームの試合会場として登場する。博士が杏子とともに大ハシャギで観戦する姿が印象的だが、1928年に開場されたこの球場は、老朽化が目立つものの今でも現役として活躍中。ちなみに本作以外にも2008年公開の『最後の早慶戦』の早稲田大学野球部の戸塚球場として使われた。 <数式>という一見無機質な世界で結ばれた、不思議な3人の絆はうららかな春の陽気のように、やさしくおだやかだ。人生は前にしか進まない。それゆえ、心を通い合わせることはできても、距離を縮められない彼らの姿は切ないが、だからこそ、彼等の慈しみ合う姿が、心に響いてくるのだろう。限られた一瞬に思いを馳せ、そっと寄り添う。それは私たちが桜を見上げる気持ちと似ているのかもしれない。 |
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監督:小泉堯史 原作は、芥川賞作家・小川洋子の大ベストセラー「博士の愛した数式」。本屋さんが選ぶ第一回本屋大賞、第55回読売文学賞を見事受賞した感動作が待望の映画化。監督は、『雨あがる』で第24回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞、『阿弥陀堂だより』で日本中に優しさと感動を届けた小泉堯史監督。80分しか記憶がもたない博士を演じるのは、『雨あがる』『阿弥陀堂だより』に引き続き小泉作品主演3本目となる寺尾聰。博士の家で働くことになる家政婦・杏子役には『阿修羅のごとく』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した深津絵里。物語を推し進める重要な役柄、大人になったルートを演じるのは『ALWAYS 三丁目の夕日』『隠し剣 鬼の爪』の吉岡秀隆。そして、博士の義姉である未亡人には『四十七人の刺客』『木曜組曲』の浅丘ルリ子。 不慮の交通事故で、天才数学者の博士(寺尾聰)は記憶がたった80分しかもたない。何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出す。それが、他人と話すために博士が編み出した方法だった。相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、常に数字のそばから離れようとはしなかった。その博士のもとで働くことになった家政婦の杏子(深津絵里)と、幼い頃から母親と二人で生きてきた10歳の息子(齋藤隆成)。博士は息子を、ルート(√)と呼んだ。博士が教えてくれた数式の美しさ、キラキラと輝く世界。母子は、純粋に数学を愛する博士に魅せられ、次第に、数式の中に秘められた、美しい言葉の意味を知る。 |
『博士の愛した数式』
・発売日:発売中・発売元:アスミック ・販売元:角川映画 ・価格:¥4,935(税込) ・(C)2006「博士の愛した数式」製作委員会 |