下呂温泉が名湯であることを初めて天下に紹介したのは、室町時代の京都五山の僧、万里集九でした。
その詩文集『梅花無尽蔵』には「本邦六十余州ごとに霊湯あり。その最たるものは、上州の草津、津陽の有馬、飛州の湯島(下呂)、この三か所なり」と記されています。
江戸時代には儒学者林羅山も万里集九と同様の評価をしており、『林羅山詩集第三西南行日録』には「我が国は諸州に温泉を多く有す。その最も著しいものは、摂津の有馬、上州の草津、飛騨の湯島(下呂)、この三か所なり」とあり、さらに「今、有馬、草津は広く世の知るところとなり。湯島は古来の霊湯たること、遠く知るもの少なしといえども、入湯する人はその験を得ざることなし」と続き、下呂温泉が名湯であることを伝えています。
(下呂温泉観光協会公式サイトより引用)