時のみかど舒明天皇(629)の頃、けがをしたコウノトリにより発見されましたのが『城崎温泉』の起こりとされていますが(鴻の湯の由来)、その後、元正天皇の養老元(717)年、この地を訪れた道智上人が難病の人々を救う為に、当所鎮守四所明神に祈願を込め、明神の神託を得て一千日の間八曼陀羅を唱え、その祈願によって『城崎温泉』が開かれたとされています(まんだら湯の由来)。
城崎温泉が開かれたと同時代、大和国に稽文という仏師がおりました。長谷寺の観音と同木で今一体の観音を刻んだが、それがまだ未完の時に中風の病にかかったため、この像はそのまま長楽寺という寺に安置されました。
やがて疾病が流行し村人は観音の崇りと、その像を遠く難波浦まで運んで海中に投じ、それが津々浦々に漂い巡って現在の城崎町「観音浦」に漂着したのです。
(きのさき温泉観光協会公式サイトより引用)