四万温泉の名前は、四万の湯が『四万(よんまん)の病を癒す霊泉』であるとする伝説に由来します。
四万温泉の起源は二説あり、一つは桓武天皇(737〜806)の御代に征夷大将軍として蝦夷征伐に来た坂上田村麻呂が、 この地で入浴したことが始まりというものです。
もう一つは、永延3年(989年)頃に源頼光の家臣で、渡辺綱、坂田金時、卜部季武と共に四天王として勇名を轟かせた日向守碓氷貞光が、 越後から上野国に越えるときにこの四万の地に訪れて、山のたたずまいや谷川の響きに心を澄まし、夜もすがら読経をした。 夜半の頃、どこからともなく童子があらわれていうのに、『汝が読経の誠心に感じて四万「よんまん」の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり。』 夢うつつにこの神託を聞いた貞光は、覚めて後に湧出する温泉を見つけました。
この事に感じた貞光は、一宇の堂を建立して自らの守本尊の薬師如来を安置し、日向守貞光寺薬師瑠璃如来と号し、温泉は「御夢想の湯」と呼び、神託にちなんでこの地を四万「しま」の郷と名付けたという伝説です。
(四万温泉協会・四万温泉旅館協同組合公式サイトより引用)